DIARY OF ANNE FRANK

DIARY OF ANNE FRANK

WHAT’S UP?
アンネ・フランクの隠れ家
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[2011.01.11~2011.01.13 オランダ アムステルダム]

 

『アンネの日記』を読んだことはない。

嫁はうる覚え。

 

アムステルダムに

ユダヤ系ドイツ人 アンネ・フランクの隠れ家がある。

 

第二次世界大戦中、

故郷ドイツを離れオランダに逃げたフランクファミリー。

しかしナチスドイツの勢力は増すばかり。

オランダにもその手は延びた。

オランダでもユダヤ人狩りがはじまった。

そこでアンナたちはアムステルダムにある父親の会社に

隠れ家をつくり生活を余儀なくされる。

昼間は、従業員にしられないよう物音立てず生活。

外には一歩もでられない生活。

密告されればナチスがやってくる。

そして死が待っている。

この生活の中でアンネがつづった日記がそれだ。

アンネの希望は、この争いが終わったら

この日記を出版すること。

将来の夢はジャーナリストだった。 

 

アンナ・フランクの隠れ家は

中心地に近い川沿いから少し入った場所にあった。

表向きは横並びにつづく家のひとつ。

現在、家の中は隠れ家を忠実に残し

博物館になっている。

 

不謹慎かもしれないが

正直『隠れ家としては、とても広い!』と思った。

しっかりとした居住空間がそこにはあったからだ。

板と板の間に挟まれるかのような生活・・・

それを思い描いていたのが事実。

まさか、キッチンやトイレ、いくつもの部屋、

2階、3階があるとは思いもしなかった。

 

この4階建てガラス窓の家がアンネフランクの隠れ家

細くて急な階段を上ると

本棚で隠された入口があり、さらに奥へ

本棚の奥にはしっかりとした居住空間が用意されていた

 

 

しかし、

  

ユダヤ人というだけで

家からでられない生活。

 

ユダヤ人というだけで

見つかったら殺されるという心境。

 

この生活こそがすべて窮屈だったはずだ。

 

 

 

彼女たちは密告者によってつかまってしまい

ナチス強制収容所でチフスにかかり15歳で亡くなってしまう。

 

戦後、この隠れ家で生活していた住民で生き残ったのは

父オットー・フランクただひとり。

彼は、アンネの思いを世界に伝えるべく出版を決意。

 

現在『アンネの日記』は60ヶ国語以上翻訳され

世界的ベストセラーになっている。

 

アンネの夢が、ひとつ叶った。

 

text by kzm

2件の返信

  1. いちじん より:

    そうでしたね。
    わたしもアンネの家を訪れたときは
    感慨深かったです。

    訪問する以前に、
    「高崎アウシュビッツ展」を
    実行委員会方式で
    実施し、
    アウシュビッツの凄惨な様子を
    多くの市民の皆さんに
    見てもらっていたからです。

    ノー モァ アウシュビッツ
    です。

    • chiliboy より:

      各地でユダヤ関係の資料館はなるべく行くようにしています。
      そうですね、
      ノ― モァ アウシュビッツ

      これからアフリカへ向かいますが、
      アフリカもまた
      差別による被害の大きい土地です。

      行く前から感慨深いです・・・    <嫁>

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