SENSE OF INCONGRUITY

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WHAT’S UP?
キリスト教 ⇒ 十字を切る
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ブルガリアにはいるとキリスト教にマルっとチェンジ。

トルコであんなにもあったモスクやミナーレ、

決まった時間に流れるお経も全くない。

人々の顔つきはあまり変わっているようには思えないけど、世界は変わった。

 

アレキサンダル・ネフスキー教会

神聖な時間

 

街にはキリスト教会が大きく構え、

人々は手足を洗うでもなく、

脱帽するでもなく扉を開き中へ入って行く。

キリストの絵画や彫刻に頭をたれ十字を切る。

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで違和感。

『十字の切り方』に違和感。

 

 

 

 

 

 

 

 

頭から胸、左肩、右肩に十字を切るんだと思っていた・・・が

頭、胸、右肩、左肩の順で切る人々を見かけた。

こっ、これは何?認識間違い?

 

そうではなかった。

 

詳しくはわからないが、

基本的にカトリックは左肩から正教会は右肩から十字を切るようだ。

プロテスタントは十字を切らないらしい。

 

違和感が自分の興味を強くする。

今までと違う教会の見方ができる。

イスラム教やヒンドゥー教などと比べながら

キリスト教と向かい合っている。

 

 

 

新たな旅の始まりを

ここブルガリアで感じるのであった。

 

text by kzm

4件の返信

  1. omoton より:

    ずいぶん遠くまでいったなぁ。
    当店、スタッフは今日からお休み。
    わたしは当然今日もお仕事ちう。

    よいお年を!
    (忘れそうなので今日書きました)

    • chiliboy より:

      年賀状のデザインはどんなでしょう~

      来年も他店との競い合いに
      勝って勝って勝ちまくってくださいね。

      文鳥さんによろしくです。
      よいお年を~

  2. いちじん より:

    十字の切り方
    カトリックと正教とでは異なること
    知りませんでした。

    キリスト教が
    生活の中にどれほど
    生きているのか
    知りたいですが、

    日本で仏教が
    どれほど生活の中に
    生きているのかと問われると・・・
    難しいですから、
    この要望は
    取り消します。

    • chiliboy より:

      そうですね。

      日本は仏教が生活の一部に
      生きているとはいえるかどうか・・・

      『いただきます』と『ごちそうさまでした』だけでも
      しっかり手を合わせていきたいものですね。

      (仏教と関連があるかわかりませんが感謝の心ってことで)

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